ならず者の町ディソラムで暮らし始めて、一ヶ月ほどが経過した。
季節はいつのまにかすっかり秋である。昔、港町で極貧生活を送っていたときのように、小さい依頼を中心にこなしながら暮らしている。
ちょっとしたおつかいやら、店の手伝いのバイトやら、下水掃除やらだ。 あのときはお金のためだったが、今はカルマのため。 いつまで経っても世知辛い世の中だな。他にも道端で転んだ老人を助けたり、迷子の道案内をしたりと善行も頑張っている。
ただしこの町はならず者が多い。 転んだ老人と思ったら盗人だったり、子供であってもかっぱらいをしたりと油断できない。おかげで観察力が磨かれたような気がする。
手助けをするにしてもよく注意を払って、俺に被害が出ないようにするわけだ。何とも嫌な話だが、身を守るためである。
それでも地道な活動のかいがあって、カルマはマイナス14まで持ち直した。
体に走る負のオーラがだいぶ軽減されてきたので、もう少しで犯罪者ではなくなると信じたい。「お疲れさん。今日はもういいよ」
「どうも」
今日もアイテム屋の倉庫整理の依頼を終えて、俺は依頼料を受け取った。
店主が言う。「ユウは真面目に働くから、いつも助かっている。だが、この町で真面目は必ずしも美徳じゃないぞ。いつもお互いがお互いをだまそうとしている町だからな」
「用心はしていますよ。この前も宿屋に強盗が入って身ぐるみ剥がれそうになったけど、撃退したし」
撃退したのは主にクマ吾郎なんだが、まぁ嘘は言っていない。
俺の答えに店主はニヤリと笑った。「へえ、それなりに腕も立つんだな。じゃあ盗賊ギルドからスカウトが来るかもよ」
「盗賊ギルドか……」
盗賊ギルドはこの町を取り仕切っている組織だ。いわゆる裏社会のギルドで、他の町にもネットワークがあるらしい。
この町では誰もが盗賊ギルドの存在を知っている。 でも実際に誰がメンバーで、どんな組織なのかは謎に包まれているのだ。<翌日の夜。 俺はバルトに指定された時間に酒場に来ていた。 店に入るので、クマ吾郎は宿屋で待機してもらっている。 酒場はすでに閉店していたが、入り口のドアは開いていた。 中に入ってみるとバルトが待っている。一人でテーブル席に座って何やらトランプのカードをもてあそんでいた。 俺が来たのを見て、彼はカードをいじる手を止めた。「やあ、来たねユウ。返事はどうかな」「……盗賊ギルドに入る」 俺の答えに彼はにっこりと笑った。 昨日今日とよく考えての結果だった。 裏社会に関わりを持ちたくなんかないが、鍵開けや罠感知のスキルは他では覚えられない。 いくつもの町を回ってきたが、それらのスキルは一度も見たことがないのだ。 騙されているのかも、とは思った。 けど逆に俺を騙すメリットなどあるだろうか。 俺はやっと一人前になった程度の冒険者で、お金だって大して持っていない。 森の民の出自を隠して活動する以外は、ただのありふれた人間である。 こんな奴を騙しても別にいいことないだろ。 騙した挙げ句奴隷として売り払うとか、そんなことも考えた。 でもそれなら、その辺の浮浪児でも捕まえたほうが早いじゃないか。 俺の見た目はややイケメン寄りのフツメンだ。(自分でイケメン寄りとか言ってスマン)見た目以外も特技があるわけじゃないし。 やっぱりどう考えても騙すほどのメリットがない。 強いて言うなら森の民の出身くらいか。 でもなあ、森の民は優秀な魔力を持つらしいがそれ以外で特筆するものはないはずなんだ。魔力が優秀といってもバカ高いわけじゃなく、常識の範囲内だし。 森の民は今となっては数が少ない貴重な種族。人体実験でもされるのだろうか。 だが、迫害を受ける話は聞いても人体実験とかの噂は聞いたこともない。そこまで恐れていては生きていけないっての。 いくら考えても分からなかったので、思い切って進むことにしたのだ。虎穴に入らずんば虎子を得ず
「ギルドのノルマだと?」 やはり裏があったのか? 思わずバルトを睨んでしまった。 けれどバルトは軽く肩をすくめて手を振ってみせた。「あはは、そんなに警戒しないでくれ。ノルマといってもそこまで難しいものではないよ。ギルド員のランクに応じて宝石を納入してほしいんだ」 この世界の宝石はピンキリで、クズ石に近いものから貴族が買い求めるような御大層なものまでいろいろある。 そして宝石は魔法の触媒にもなる。 つまり宝飾品だけでなく需要が高い実用品でもあるのだ。 需要が高いために換金性は高い。宝石は軽いので、重たい金貨や銀貨を持ち運びするより便利だ。 金持ちの商人や高位の冒険者なんかは、財産を宝石で持っていると聞いたことがある。「ユウはダンジョンに行くだろう。最初はそこで手に入る程度のクズ石をいくつかで十分だよ」 ダンジョンのボスを倒すと宝箱を落とすが、この箱の中には高確率で宝石が入っている。 俺が通える程度の初心者向けダンジョンでは、宝箱の中味もそこまでレアじゃない。宝石はクズ石に毛が生えた程度のものが多かった。 俺は触媒が必要な魔法は使えない。今までは使い道がなかったので、売って金策していたけど……。「ノルマを破るとどうなるんだ?」「ギルドを追放処分になるよ」 バルトは笑顔のままで言った。「等級が高いギルド員が追放されれば、メンツや情報保持の問題で暗殺者が放たれることもあるが。新入りであれば、まあ、身ぐるみ剥がそうとする強盗に何度か襲われる程度じゃないかな。逃げ切れればそれはそれでいいよ。実力を示すのは大事だからね」 強盗! 暗殺者!? なにそれ怖! 俺は思わず一歩後ずさって、頑張って腹に力を入れ直した。さらに質問する。「だが俺は、この町にずっといるつもりはない。いずれ町を出たら、ノルマの宝石が納められない場合もあるだろう。それでも追放処分になるのか?」「前もって脱退手続きをしてくれれば、特に追手は出ない。ま、脱退時にいくらかの『手数料』はもら
バルトに勧誘を受けて以来、俺は盗賊ギルドを拠点に活動を続けている。 盗賊ギルドは便利な施設が揃っていた。 宿泊所に休憩所、アイテム屋と魔法屋、武具屋、スキル習得所。 一通りの店は揃っている上に、商品が豊富。 カルマの上昇という意味では使えないが、それ以外の生活は大助かりだ。 特にアイテム屋と魔法屋の品揃えがいいのが助かる。 アイテム屋ではポーションを買い込んで、ダンジョン攻略に役立てている。 魔法屋ではマジックアローの魔法書の他、戦歌の魔法書も買うようになった。 この二つの魔法はどちらも初心者用で、戦歌の魔法は腕力と器用に一時ボーナスを与えてくれる。 戦いのポーションと同じ効果だが、魔法の練習も兼ねて覚えてみた。 攻撃魔法のマジックアローと違って、自己バフタイプの戦歌であればスキマ時間でちょいちょい魔法の練習ができる。 たとえば町なかの移動中とか、寝る前のちょっとした時間を活用するわけだ。 俺は少しでも強くなりたい。時間は無駄にはできないんだ。 おかげで読書スキルや詠唱スキル、戦歌の魔法自体も扱いが上手くなったと思う。 そんなわけで盗賊ギルド加入前よりずいぶん暮らしやすくなった。 余裕が生まれた勢いで、ギルドのノルマ達成――宝石を一定数納入する――を兼ねてダンジョン通いを再開してみた。 ダンジョンは自然発生する魔法の洞窟で、ときどき塔や砦のような建物の形を取ることもある。 ダンジョンのボスを倒したり、そうでなくてもしばらく時間が経つと崩壊して消滅。 また次の新しいダンジョンが生まれてくる。 いったいどういう仕組みでダンジョンが成り立っているのかさっぱり分からないが、稼ぎ場として便利なので冒険者は皆通っている。 ダンジョン内はアイテムや武具が落ちている他、ほとんど無限に魔物が出現する。 アイテム類を拾い集めれば金になる。魔物と戦っていれば腕試しになる。 行かない方が損ってもんだ。 本当にダンジョンって何なんだろうな。
・現在のユウのステータス。 名前:ユウ 種族:森の民 性別:男性 年齢:15歳 カルマ:-4 レベル:18 腕力:21 耐久:13 敏捷:19 器用:18 知恵:11 魔力:17 魅力:1 スキル 剣術:8.8 盾術:2.2 瞑想:4.5 投擲:6.3 木登り:4.1 隠密:5.4 鍵開け:3.3 罠感知:1.5 罠解体:1.2 軽業:2.8 釣り:1.7 魔道具:3.5 詠唱:4.9 読書:5.6 装備: 鉄の剣(剣術ボーナス付き) 蔓草の盾(瞑想ボーナス付き) 鱗の軽鎧(魔道具ボーナス付き) 丈夫な布のマント 鱗のブーツ(敏捷ボーナス付き) お財布の中身:金貨換算で約九枚(銀貨なら九十枚) ダンジョンで戦闘を繰り返したため戦闘系のスキル・ステータスがけっこう上がった。 戦闘スタイルは相変わらず、クマ吾郎を前衛にユウはサポートで立ち回っている。 ポーションの投擲もだいぶ精度が上がってきた。 遠くの標的でもそれなりに命中させられる。 魔法もなるべく使っているおかげで、魔力や詠唱スキルも上昇している。(当然、魔法書の解読もずっと続けている) 今ではマジックアローは九割以上の確率で成功するようになった。 鍵開け、罠感知、罠解体、軽業は盗賊ギルド限定のスキル。 鍵開けと罠二つは名前通り。 軽業は素早い身のこなしに対応するスキル。敵の攻撃の回避の他、高いところに飛び上がったり飛び降りたり、空中でバク転をしたりといった幅広い動きに関連している。 ダンジョンで拾った装備品が徐々に増えている。 今のユウの実力は、そろそろ中級冒険者に届きそう……といったところ。
わざわざ一緒に行くって? バルトの言葉に俺は首を傾げた。「え? 別にいいよ。税金納めるだけだし。犯罪者状態はもう解除されてるから、衛兵に襲われることもないし」 そう、先日。カルマがゼロまで戻ったのだ。俺はとうとう犯罪者ではなくなった。 バルトは笑顔のまま首を振る。「僕も王都に用事があるんだ。二人で行ったほうが道中も安心だろう。さあ、行くよ」「まあ、そういうことなら」 そうして俺とバルト、クマ吾郎はディソラムの町を出発した。 バルトはさすが盗賊ギルドの一級ギルド員。 短剣の二刀流を見事に使いこなして、弱い魔物程度なら瞬殺してくれる。 気配を消すのが上手いので、物陰からこっそりと近づいて背後からバッサリだ。 バックスタブってやつだな。「短剣もいいなあ。長剣に比べると威力が低いと思っていたが、そんなこともないのか」 俺が言うと、バルトは器用に短剣をくるくると回してみせた。「一撃の威力は長剣に劣るけど、短剣は連撃ができるからね。どっちを取るかは本人次第さ」 そんな話をしながら俺たちは強行軍で進んでいった。 王都パルティアに到着したのは、納税締切日の午後のことだった。 俺は税金の請求書を握りしめて税務署へと走る。 バルトは用事を済ませてくるからとどこかに行ってしまった。 クマ吾郎は城門のところで待機だ。 カルマが戻っているので、衛兵に追われることもない。 町行く人々も俺を特に見ることもなく、通り過ぎていく。 いやはや、あたり前のことだが助かるね。 たどり着いた税務署はすごい人混みだった。 周囲の人たちの声が聞こえてくる。「いつもにもましてすごい混みっぷりね」「今日が締切の税金が多いからね。駆け込みで納税する人がたくさん来ているんだろう」「余裕をもって納税すればいいのに。いい迷惑だ」
俺は必死に衛兵から逃げる。「うわっ!」 衛兵の片方が矢を射掛けてきた。 あいつら容赦ない! とっさに左にステップを踏んでかわす。 軽業スキルとダンジョンで培った戦闘能力が役に立った。 矢は石畳の継ぎ目に突き刺さった。その威力にぞっとする。 路地に追い立てられ、狭い道を必死で走る。 やがて見えてきたのは行き止まり。 袋小路に追い込まれた。 衛兵たちの気配が近づいてくる。 と。 袋小路の手前、ゴミのかげにあったドアが急に開いて、俺は引っ張り込まれた。「しーっ。大人しくしてね」「バルト!」 俺を引き込んだのはバルトだった。 薄暗い室内で俺の口を押さえてくる。「犯罪者はいたか?」「いや、見失った」「近くにいるのは間違いない。よく探せ!」 壁一枚向こうで衛兵たちの声がする。 やがて声はだんだん遠ざかっていって聞こえなくなった。「ユウ、災難だったねえ」 バルトはニヤニヤ笑っている。 言葉とは裏腹にこうなるのが分かっていたかのような表情だ。 俺は心の底からため息をついた。「また地道なカルマ上げをすると思うと、気が遠くなるよ」「前と同じやり方じゃあ駄目だけどね」「え?」 バルトを見れば、彼は肩をすくめた。「だって税金の請求は二ヶ月ごとに来るんだよ? ユウは去年の夏が最後の納税なんだろ。次の税金を滞納すれば、脱税扱いになってカルマがまた下がる」 そうか、税金は二ヶ月毎に請求書が来るんだった。 締切まで間があるので、半年分ならまとめ払いができる。 ところが俺は半年前に納税したっきり。 次の締切は二ヶ月後になる。 たった二ヶ月でマイナス45のカルマを戻せるか……? いや無理だろ。以前はマイナス35から始まって、ゼロに戻すまで四ヶ月はかかった。
ドォンッ! 体を突き上げるような激しい衝動で、俺は目覚めた。 まわりは真っ暗。何がなんだか分からない。 手探りでドアらしきものを探り当て、必死の思いでこじ開ける。 外は嵐だった。 激しく揺れる地面は木の床で、雨粒と波をかぶって水に沈みかけている。 大波が襲うごとに船は軋んで、今にも壊れてしまいそうだ。 船だ。俺は船に乗っていたんだ。 どうして? 思い出せない。 まるで見知らぬ場所の影絵を見るように、目の前の光景が展開されている。 ドンッ! また衝撃が走る。 すでに沈みかけている船が、波をまともに受けて揺らいでいるのだ。 ギィィと木が軋む嫌な音がして、床の傾きの角度がぐんと上がる。 高波をかぶって俺は転んだ。為すすべはなかった。 船の手すりを掴もうとしたが、全てが遠い。 俺は海に放り出された。 次々と襲ってくる波と雨のせいで、水中に落ちたと気づくのに時間がかかった。 激しい波に濁る海中で、船が真っ二つになっているのが見えた。 真っ二つになって、渦を起こして沈んでいくのが。 それが、俺の意識の最後になった。 パチ、パチと小さな音がする。 全身ひどく寒かったけれど、その音のする方向だけ少し暖かい。 そっと目を開けてみると、オレンジ色の炎が見えた。 焚き火だ。 焚き火のそばに二人の人影がいる。 俺の目はまだかすんでいて、どんな人物なのかまではよく見えない。「うう……」 声を出そうとしたが、うめき声しか出なかった。「おや。目が覚めたか」 若い男の声が答える。「君は三日も眠っていた。ニアに感謝するんだな。わざわざ君を海から引き上げて、こうして世話までしたのだから」 少し視力が戻ってくる。 よく見れば、二つの人影は若い男と少女のようだ。「あなた、難破船から落ちて溺れたのよ。覚えてる?」 ニアという少女が言う。十三歳か十四歳くらいに見えた。「覚えて……る」 かすれた声だったが、ちゃんと喋れた。 男が立ち上がって、俺にマグカップを差し出してくれた。 中身は温めたミルクで、ゆっくりと飲めば腹が温まってくる。「ありがとう、ええと」「ルードだ」 男、ルードは素っ気なく言ってまた焚き火の前に腰を下ろした。「運が良かったな。船はバラバラになって、浜に打ち上げられたのは瓦礫と死体ばかりだった。生きているのが
ため息をついたルードが投げやりな口調で言った。「まあいい。意識が戻ったのだから、我々は先に行く。あてのない旅ではあるが、他人のために足止めはごめんだからな」「ルード。彼は目を覚ましたばかりよ。もう少しだけ助けてあげましょう」 ニアが言うと、ルードはあからさまに舌打ちをした。なんだこいつ、性格悪いな。「そういえば、名前を聞いていなかったわね」「ニア、よせ。名など聞けば余計な縁ができる。今の我らにそんなものを抱える余裕があるか?」「縁ならもう十分にできているわ。今さらよ。……それで、あなたの名前は?」 俺の名は――「ユウ、だ」 何も思い出せないくせに、名前だけはするりと出てきた。 それともYOUのユーだろうか。 分からんが、ユウは意外に馴染みがいい。本当に俺の名前なのかもしれない。「ユウ。もう少し眠るといいわ。私たちが火の番をするから、安心して」 ニアがにっこりと微笑んだ。 横ではルードが苦い顔をしている。 分からないことだらけで不安だったが、体は冷えて疲れ切っている。 返事をするのもままならず、俺は再び眠りに落ちた。 再び目覚めると、体はずいぶんマシになっていた。 焚き火のそばには、相変わらずニアとルード。二人は小声で何事か話している。 俺が目を開けたのに気づいて、ルードが言った。「顔色は良くなったな。起き上がれるか?」「ああ、大丈夫だ」 体のあちこちが痛んだけれど、俺は立ち上がった。 ぐっと手足を伸ばす。洞窟の天井は案外高くて、俺が手を伸ばしてもぶつかったりしなかった。 深呼吸をすると、腹がぐうと鳴った。 いいことだ。空腹を感じるのは、正常なことだからな。「ほら、飯だ。食え」 ルードが投げて寄越したのは……生肉である。 生肉は地面を転がり、土で汚れている。 いや生肉って。病み上がりの怪我人に与えるか普通? 生肉を手に取って俺は困った。困ったが、腹はぐうぐう鳴っている。 仕方なく肉を焚き火であぶってみる。 串もなくあぶったものだから手が熱い。「うおっアチッ」 肉の端に火がついて、ついでに俺の手もやけどしそうになった。こりゃだめだ。 仕方ない、生のままだがかじってみよう。 俺は口を開けて肉にかぶりつく。「ォエェェッ」 で、普通に吐いた。 胃の中が空っぽだったので胃液を吐いてしまった。 当
俺は必死に衛兵から逃げる。「うわっ!」 衛兵の片方が矢を射掛けてきた。 あいつら容赦ない! とっさに左にステップを踏んでかわす。 軽業スキルとダンジョンで培った戦闘能力が役に立った。 矢は石畳の継ぎ目に突き刺さった。その威力にぞっとする。 路地に追い立てられ、狭い道を必死で走る。 やがて見えてきたのは行き止まり。 袋小路に追い込まれた。 衛兵たちの気配が近づいてくる。 と。 袋小路の手前、ゴミのかげにあったドアが急に開いて、俺は引っ張り込まれた。「しーっ。大人しくしてね」「バルト!」 俺を引き込んだのはバルトだった。 薄暗い室内で俺の口を押さえてくる。「犯罪者はいたか?」「いや、見失った」「近くにいるのは間違いない。よく探せ!」 壁一枚向こうで衛兵たちの声がする。 やがて声はだんだん遠ざかっていって聞こえなくなった。「ユウ、災難だったねえ」 バルトはニヤニヤ笑っている。 言葉とは裏腹にこうなるのが分かっていたかのような表情だ。 俺は心の底からため息をついた。「また地道なカルマ上げをすると思うと、気が遠くなるよ」「前と同じやり方じゃあ駄目だけどね」「え?」 バルトを見れば、彼は肩をすくめた。「だって税金の請求は二ヶ月ごとに来るんだよ? ユウは去年の夏が最後の納税なんだろ。次の税金を滞納すれば、脱税扱いになってカルマがまた下がる」 そうか、税金は二ヶ月毎に請求書が来るんだった。 締切まで間があるので、半年分ならまとめ払いができる。 ところが俺は半年前に納税したっきり。 次の締切は二ヶ月後になる。 たった二ヶ月でマイナス45のカルマを戻せるか……? いや無理だろ。以前はマイナス35から始まって、ゼロに戻すまで四ヶ月はかかった。
わざわざ一緒に行くって? バルトの言葉に俺は首を傾げた。「え? 別にいいよ。税金納めるだけだし。犯罪者状態はもう解除されてるから、衛兵に襲われることもないし」 そう、先日。カルマがゼロまで戻ったのだ。俺はとうとう犯罪者ではなくなった。 バルトは笑顔のまま首を振る。「僕も王都に用事があるんだ。二人で行ったほうが道中も安心だろう。さあ、行くよ」「まあ、そういうことなら」 そうして俺とバルト、クマ吾郎はディソラムの町を出発した。 バルトはさすが盗賊ギルドの一級ギルド員。 短剣の二刀流を見事に使いこなして、弱い魔物程度なら瞬殺してくれる。 気配を消すのが上手いので、物陰からこっそりと近づいて背後からバッサリだ。 バックスタブってやつだな。「短剣もいいなあ。長剣に比べると威力が低いと思っていたが、そんなこともないのか」 俺が言うと、バルトは器用に短剣をくるくると回してみせた。「一撃の威力は長剣に劣るけど、短剣は連撃ができるからね。どっちを取るかは本人次第さ」 そんな話をしながら俺たちは強行軍で進んでいった。 王都パルティアに到着したのは、納税締切日の午後のことだった。 俺は税金の請求書を握りしめて税務署へと走る。 バルトは用事を済ませてくるからとどこかに行ってしまった。 クマ吾郎は城門のところで待機だ。 カルマが戻っているので、衛兵に追われることもない。 町行く人々も俺を特に見ることもなく、通り過ぎていく。 いやはや、あたり前のことだが助かるね。 たどり着いた税務署はすごい人混みだった。 周囲の人たちの声が聞こえてくる。「いつもにもましてすごい混みっぷりね」「今日が締切の税金が多いからね。駆け込みで納税する人がたくさん来ているんだろう」「余裕をもって納税すればいいのに。いい迷惑だ」
・現在のユウのステータス。 名前:ユウ 種族:森の民 性別:男性 年齢:15歳 カルマ:-4 レベル:18 腕力:21 耐久:13 敏捷:19 器用:18 知恵:11 魔力:17 魅力:1 スキル 剣術:8.8 盾術:2.2 瞑想:4.5 投擲:6.3 木登り:4.1 隠密:5.4 鍵開け:3.3 罠感知:1.5 罠解体:1.2 軽業:2.8 釣り:1.7 魔道具:3.5 詠唱:4.9 読書:5.6 装備: 鉄の剣(剣術ボーナス付き) 蔓草の盾(瞑想ボーナス付き) 鱗の軽鎧(魔道具ボーナス付き) 丈夫な布のマント 鱗のブーツ(敏捷ボーナス付き) お財布の中身:金貨換算で約九枚(銀貨なら九十枚) ダンジョンで戦闘を繰り返したため戦闘系のスキル・ステータスがけっこう上がった。 戦闘スタイルは相変わらず、クマ吾郎を前衛にユウはサポートで立ち回っている。 ポーションの投擲もだいぶ精度が上がってきた。 遠くの標的でもそれなりに命中させられる。 魔法もなるべく使っているおかげで、魔力や詠唱スキルも上昇している。(当然、魔法書の解読もずっと続けている) 今ではマジックアローは九割以上の確率で成功するようになった。 鍵開け、罠感知、罠解体、軽業は盗賊ギルド限定のスキル。 鍵開けと罠二つは名前通り。 軽業は素早い身のこなしに対応するスキル。敵の攻撃の回避の他、高いところに飛び上がったり飛び降りたり、空中でバク転をしたりといった幅広い動きに関連している。 ダンジョンで拾った装備品が徐々に増えている。 今のユウの実力は、そろそろ中級冒険者に届きそう……といったところ。
バルトに勧誘を受けて以来、俺は盗賊ギルドを拠点に活動を続けている。 盗賊ギルドは便利な施設が揃っていた。 宿泊所に休憩所、アイテム屋と魔法屋、武具屋、スキル習得所。 一通りの店は揃っている上に、商品が豊富。 カルマの上昇という意味では使えないが、それ以外の生活は大助かりだ。 特にアイテム屋と魔法屋の品揃えがいいのが助かる。 アイテム屋ではポーションを買い込んで、ダンジョン攻略に役立てている。 魔法屋ではマジックアローの魔法書の他、戦歌の魔法書も買うようになった。 この二つの魔法はどちらも初心者用で、戦歌の魔法は腕力と器用に一時ボーナスを与えてくれる。 戦いのポーションと同じ効果だが、魔法の練習も兼ねて覚えてみた。 攻撃魔法のマジックアローと違って、自己バフタイプの戦歌であればスキマ時間でちょいちょい魔法の練習ができる。 たとえば町なかの移動中とか、寝る前のちょっとした時間を活用するわけだ。 俺は少しでも強くなりたい。時間は無駄にはできないんだ。 おかげで読書スキルや詠唱スキル、戦歌の魔法自体も扱いが上手くなったと思う。 そんなわけで盗賊ギルド加入前よりずいぶん暮らしやすくなった。 余裕が生まれた勢いで、ギルドのノルマ達成――宝石を一定数納入する――を兼ねてダンジョン通いを再開してみた。 ダンジョンは自然発生する魔法の洞窟で、ときどき塔や砦のような建物の形を取ることもある。 ダンジョンのボスを倒したり、そうでなくてもしばらく時間が経つと崩壊して消滅。 また次の新しいダンジョンが生まれてくる。 いったいどういう仕組みでダンジョンが成り立っているのかさっぱり分からないが、稼ぎ場として便利なので冒険者は皆通っている。 ダンジョン内はアイテムや武具が落ちている他、ほとんど無限に魔物が出現する。 アイテム類を拾い集めれば金になる。魔物と戦っていれば腕試しになる。 行かない方が損ってもんだ。 本当にダンジョンって何なんだろうな。
「ギルドのノルマだと?」 やはり裏があったのか? 思わずバルトを睨んでしまった。 けれどバルトは軽く肩をすくめて手を振ってみせた。「あはは、そんなに警戒しないでくれ。ノルマといってもそこまで難しいものではないよ。ギルド員のランクに応じて宝石を納入してほしいんだ」 この世界の宝石はピンキリで、クズ石に近いものから貴族が買い求めるような御大層なものまでいろいろある。 そして宝石は魔法の触媒にもなる。 つまり宝飾品だけでなく需要が高い実用品でもあるのだ。 需要が高いために換金性は高い。宝石は軽いので、重たい金貨や銀貨を持ち運びするより便利だ。 金持ちの商人や高位の冒険者なんかは、財産を宝石で持っていると聞いたことがある。「ユウはダンジョンに行くだろう。最初はそこで手に入る程度のクズ石をいくつかで十分だよ」 ダンジョンのボスを倒すと宝箱を落とすが、この箱の中には高確率で宝石が入っている。 俺が通える程度の初心者向けダンジョンでは、宝箱の中味もそこまでレアじゃない。宝石はクズ石に毛が生えた程度のものが多かった。 俺は触媒が必要な魔法は使えない。今までは使い道がなかったので、売って金策していたけど……。「ノルマを破るとどうなるんだ?」「ギルドを追放処分になるよ」 バルトは笑顔のままで言った。「等級が高いギルド員が追放されれば、メンツや情報保持の問題で暗殺者が放たれることもあるが。新入りであれば、まあ、身ぐるみ剥がそうとする強盗に何度か襲われる程度じゃないかな。逃げ切れればそれはそれでいいよ。実力を示すのは大事だからね」 強盗! 暗殺者!? なにそれ怖! 俺は思わず一歩後ずさって、頑張って腹に力を入れ直した。さらに質問する。「だが俺は、この町にずっといるつもりはない。いずれ町を出たら、ノルマの宝石が納められない場合もあるだろう。それでも追放処分になるのか?」「前もって脱退手続きをしてくれれば、特に追手は出ない。ま、脱退時にいくらかの『手数料』はもら
翌日の夜。 俺はバルトに指定された時間に酒場に来ていた。 店に入るので、クマ吾郎は宿屋で待機してもらっている。 酒場はすでに閉店していたが、入り口のドアは開いていた。 中に入ってみるとバルトが待っている。一人でテーブル席に座って何やらトランプのカードをもてあそんでいた。 俺が来たのを見て、彼はカードをいじる手を止めた。「やあ、来たねユウ。返事はどうかな」「……盗賊ギルドに入る」 俺の答えに彼はにっこりと笑った。 昨日今日とよく考えての結果だった。 裏社会に関わりを持ちたくなんかないが、鍵開けや罠感知のスキルは他では覚えられない。 いくつもの町を回ってきたが、それらのスキルは一度も見たことがないのだ。 騙されているのかも、とは思った。 けど逆に俺を騙すメリットなどあるだろうか。 俺はやっと一人前になった程度の冒険者で、お金だって大して持っていない。 森の民の出自を隠して活動する以外は、ただのありふれた人間である。 こんな奴を騙しても別にいいことないだろ。 騙した挙げ句奴隷として売り払うとか、そんなことも考えた。 でもそれなら、その辺の浮浪児でも捕まえたほうが早いじゃないか。 俺の見た目はややイケメン寄りのフツメンだ。(自分でイケメン寄りとか言ってスマン)見た目以外も特技があるわけじゃないし。 やっぱりどう考えても騙すほどのメリットがない。 強いて言うなら森の民の出身くらいか。 でもなあ、森の民は優秀な魔力を持つらしいがそれ以外で特筆するものはないはずなんだ。魔力が優秀といってもバカ高いわけじゃなく、常識の範囲内だし。 森の民は今となっては数が少ない貴重な種族。人体実験でもされるのだろうか。 だが、迫害を受ける話は聞いても人体実験とかの噂は聞いたこともない。そこまで恐れていては生きていけないっての。 いくら考えても分からなかったので、思い切って進むことにしたのだ。虎穴に入らずんば虎子を得ず
ならず者の町ディソラムで暮らし始めて、一ヶ月ほどが経過した。 季節はいつのまにかすっかり秋である。 昔、港町で極貧生活を送っていたときのように、小さい依頼を中心にこなしながら暮らしている。 ちょっとしたおつかいやら、店の手伝いのバイトやら、下水掃除やらだ。 あのときはお金のためだったが、今はカルマのため。 いつまで経っても世知辛い世の中だな。 他にも道端で転んだ老人を助けたり、迷子の道案内をしたりと善行も頑張っている。 ただしこの町はならず者が多い。 転んだ老人と思ったら盗人だったり、子供であってもかっぱらいをしたりと油断できない。 おかげで観察力が磨かれたような気がする。 手助けをするにしてもよく注意を払って、俺に被害が出ないようにするわけだ。何とも嫌な話だが、身を守るためである。 それでも地道な活動のかいがあって、カルマはマイナス14まで持ち直した。 体に走る負のオーラがだいぶ軽減されてきたので、もう少しで犯罪者ではなくなると信じたい。「お疲れさん。今日はもういいよ」「どうも」 今日もアイテム屋の倉庫整理の依頼を終えて、俺は依頼料を受け取った。 店主が言う。「ユウは真面目に働くから、いつも助かっている。だが、この町で真面目は必ずしも美徳じゃないぞ。いつもお互いがお互いをだまそうとしている町だからな」「用心はしていますよ。この前も宿屋に強盗が入って身ぐるみ剥がれそうになったけど、撃退したし」 撃退したのは主にクマ吾郎なんだが、まぁ嘘は言っていない。 俺の答えに店主はニヤリと笑った。「へえ、それなりに腕も立つんだな。じゃあ盗賊ギルドからスカウトが来るかもよ」「盗賊ギルドか……」 盗賊ギルドはこの町を取り仕切っている組織だ。いわゆる裏社会のギルドで、他の町にもネットワークがあるらしい。 この町では誰もが盗賊ギルドの存在を知っている。 でも実際に誰がメンバーで、どんな組織なのかは謎に包まれているのだ。
最近の俺は多少は強くなったので、野外でサバイバルしながら生きていくのはできると思う。 森の木の実を取ったり魔物や野生動物の肉を狩ったりで、食べ物は何とかなる。クマ吾郎という頼りになる相棒もいることだしな。 けれど一生お尋ね者で町に入れない生活なんて嫌だった。 町に入れなければベッドで寝られない。風呂も入れない。人と会話することもない。 俺は人間なんだぞ。そんなの嫌に決まってるだろ。 もう一度よく考えてみよう。どこかに突破口はないか。「そういえば、襲いかかってきたのは衛兵だけだったな。村人は嫌な顔をするだけで」 衛兵の目さえかいくぐれば、町で活動ができるか? 帽子をかぶるとか髪を染めるとか、軽く変装すれば村人もごまかせるかもしれないし。「そうだ、衛兵がいない町があったっけ」 ここから南下した先にある治安の悪い町である。 そこはならず者が我が物顔でうろうろしていて、衛兵が一人もいない。 一度配達で訪れたとき、あまりのガラの悪さにさっさと退散したのだった。「あの町に行ってみよう。行ってみるしかない」 南に向かって歩くこと約四日。 俺とクマ吾郎は、ならず者の町ディソラムに到着した。 道中で農村への配達依頼の期限が切れたおかげで、俺のカルマはさらに下がった。 今ではマイナス35である。 なお護衛対象の兄ちゃんが死んだとき、カルマは一気にマイナス25になった。 その後、彼の死体を埋葬したらカルマはマイナス20に上昇した。 どうやら依頼成功だけでなく、一般的に善行とされる行為を行ってもカルマは上がるようだ。 で、マイナス20だったカルマが配達依頼失敗でさらに下がり、マイナス35になったというわけである。 カルマは上がる時はちょっとずつなのに、下がる時はドカッと下がる。もはやどうしようもない。 カルマが大幅に下がったせいか、俺の体は全体的に負のオーラ(?)に包まれている。 身もふた
「ガウ……」 シャーマンを始末したクマ吾郎が困った顔をしている。 俺もどうしていいか分からない。 火が周囲に延焼せずに消えたのだけが救いか……? と。『護衛対象の死亡を確認しました。護衛依頼は失敗です。ペナルティ』 依頼票が声を発した。 ペナルティの声と同時に、軽いめまいがした。 この感覚は前にも経験がある。カルマが大きく減ったときだ。 ステータスを開いてみたら、カルマが-25まで減っていた。マイナスの概念があったのか。「どうしよう……」 とりあえずこいつを埋葬してやって、農村に向かうしかないだろう。 彼が死んでしまったと到着先に伝えないといけない。 ついでに、農村まで届けものをする配達依頼もある。 俺は穴を掘って黒焦げ死体を埋めた。 土を盛って棒を刺し、軽く手を合わせておく。 こんなことなら、問答無用でクマ吾郎の背中にくくりつけてやればよかった。 後悔してももう遅いとは、このことだった。 目的地の農村に足を踏み入れると、いつもと雰囲気が違うのに気づいた。 普段は村人たちはみんなフレンドリーで、挨拶をしてくれる。 この農村は何度も来ているから、村人や各店の店主、衛兵とも顔見知りだ。 それなのに。「こんにちは。ひさしぶりです」「……ッ」 俺が挨拶をすると、村人のおばさんは顔をゆがめてその場を立ち去ってしまった。 周囲を見渡しても、誰も俺と目を合わせようとしない。よそよそしいを通り越してはっきりと避けられている、もっと言えば嫌われていると感じた。「なんで?」「ハフゥ?」 俺とクマ吾郎は顔を見合わせて首をかしげる。